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会社を休んで、2度目の名古屋遠征&初のマチソワ。同じ日に、二人のヴォルフガングを観る。それぞれが全く違うヴォルフガングを作り出していることを、再確認した一日だった。 ふたりのヴォルフガングを何かに例えるなら、井上芳雄くんのヴォルフガングは風、中川晃教くんのヴォルフガングは炎。 井上ヴォルフは、いつでも自由に、気持ちのままに、吹き渡っていたい風。 中川ヴォルフは、自分でも燃え上がっていくのを押さえられない炎。 何よりも違うのは、井上ヴォルフのほうが、精神的に弱いということだ。アマデと役割を完璧に分けていて、ヴォルフガング自身は、ごく普通の青年。甘ったれで遊び好きの呑気な青年が、神からアマデという才能を与えられてしまったがため、周りの人間や世間に求められるがままに振り回され、利用され、神経をすり減らし、押しつぶされていく。ヴォルフガングの悪夢『謎解きゲーム』で、既に井上ヴォルフは頭を押さえ、パパ(市村正親)の幻影に怯え、パパなくしては幸せを得られないという思いに取り憑かれている。『借金の手紙』でも、自分を利用しようとするウェーバー家を拒否したものの、背を向け怯える。その直後にパパの死を知り、ナンネール(高橋由美子)に「許さない。」と責められ、絶望し、精神的錯乱に陥る。『モーツァルト!モーツァルト!』で、歌声の中、レクイエムの作曲をする井上ヴォルフは、のしかかるような人々に追い詰められていく。その結果の死。そんな最後に、アマデに白い羽根ペンを差し出され、そこに救いを見る。『僕こそ音楽』は、救いを得たヴォルフの解放された心だ。だから涙を浮かべながらも微笑みがある。 一方、中川ヴォルフは、最後まで、精神的に芯がある。アマデとの役割がキッパリとは分かれているわけではなく、中川ヴォルフの中に、アマデが宿っているという感じ。自分の情熱を押さえられず、飛び出してはいくけれど、周囲の人間に振り回されているのではないので、神経を磨り減らしていってはいない。パパに自分の音楽を理解してほしくて、追いかけはするけれど、井上ヴォルフほど精神的に依存していない。『モーツァルト!モーツァルト!』で、作曲をしていても、その耳には、人々の声は届いてはいない。あくまでも自分の音楽との孤独な戦いだ。その結果の燃え尽きての死。最後の『僕こそ音楽』をそっと優しく歌う中川ヴォルフの歌声は、燃え尽きる寸前の残り火のようだ。 コンスタンチェ(大塚ちひろ)との別れも印象が違う。井上ヴォルフは、精神的に余裕がないから、わめくコンスタンチェを抱えられなくなって、背を向ける。中川ヴォルフは、作曲に専念したいから、背を向ける。 今回、マチソワ続けて観ても、そこに感じるキーワードは、大阪でそれぞれを観た時と同じで、井上ヴォルフが“人間”で、中川ヴォルフが“音楽”だった。同じ物語を観ているのに、主人公の役作りが違うだけで、こうも違い、また、そのどちらもが素晴らしい出来になっていることに驚く。まさしく、井上くん、中川くんが、役を演じるのではなく、役を生きているからに違いない。 6月の大阪公演と比べて(井上くんは帝劇でも観たが)、井上くんは声の伸びと響きがすごくよくなり、中川くんは演技がよくなった。3ヶ月で、どんどん変わっていく。井上くんは1幕の『影を逃れて』が歌はもちろん、表情や動きでの感情表現もあって、胸に迫った。中川くんは、2幕の死へ向かう場面で、感情の昂りでか、手がずっと震えていて、目が離せなかった。 この日マチネもソワレも、市村パパが、すごかった。『心を鉄に閉じ込め』では厳しさの中に愛を溢れさせ、この歌で初めて、胸が詰まった。二幕で老いていくパパが、思い上がったヴォルフガングを拒絶した後に、「成長した天才を守ることができるのか、私以外誰が」と、むせび泣くように歌うパパには落涙。 『影を逃れて』に、いつも泣いてしまうフレーズがある。1幕終わりのヴォルフの「心捨てれば忘れられるのか」と、2幕の「戦い終わり、命果てて」の部分を聞くと、なんとなく堪らなくなる。心を捨てたいと一瞬でも思うのは悲しすぎるし、戦い続けたヴォルフのしんどさを思い、運命の重さを思い、歌っているキャストの顔を見ながら、みんな何がしかの運命を背負っているんだとか、いろんなことが心の中で渦巻いて、フィナーレでは泣かずにいられたことがない。 以前、宝塚を好きだったという、後輩のパンダちゃんが「悲しいお話を見ても、その後に楽しいレビューがあるから好き」と言っていた。宝塚を好きでない私には、そのときはわからなかったんだけど、「モーツァルト!」のカーテンコールには救われるので、ちょっとわかる気がしてきた。カーテンコールでヴォルフガングがアマデとおそろいの赤いコートを着て、笑顔でみんなに祝福されて出てくるのを見ると、ヴォルフガングは、こうやって生きていたかったんだろうなぁなどと思う。映画「タイタニック」の最後で、同じ船に乗っていた人々に祝福されて、ジャックとローズがキスする夢の場面のように、カーテンコールを見ている。舞台の上にいる間は、私の目には、井上君でもなく中川君でもなく、あくまでもヴォルフガングなんだなぁ。 『残酷な人生』にも思うところがあるんだけど、長いので、次回に・・・。 |
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きっきさん、こんばんは。 |
くるみ 2005/10/26 22:16 |
むしろ井上君の持つ幸福感を感じさせる伸びやかさとミックスされると、そういったマイナス要素も何だか愛おしい気がしてきて、パパの過剰な心配や、シカネーダーの兄貴ぶりも、さもあらんという気になります。つまり、1幕の完成度は高くなったと思っています。 |
くるみ(続き) 2005/10/26 22:21 |
くるみさん、いつもコメントありがとうございます。私もくるみさんのコメント、楽しみにしています。 |
きっき 2005/10/26 23:59 |
きっきさん、こんばんは。 |
くるみ 2005/11/01 00:04 |
くるみさん、楽に行かれたんですね。 |
きっき 2005/11/01 20:36 |
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